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令和6年能登半島地震 災害復旧活動

 

明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。

そして令和6年能登半島地震の被害による亡くなられた方々に深く哀悼の意を表するとともに、被災された皆さまに謹んでお見舞い申し上げます。
弊社の社員の親戚も被災をしてしまいました。
現地の声は2日経っても全く物資が届かない、このままだとご飯も水も無く老人、子供が危険かも知れないとの事で相談があり、
水700L、米800食、レトルトカレー220食、カップラーメン560食、カイロ約500個、マスク約600枚、オムツ500枚、ガソリン100L、ミルク、生理用品や除菌シート等を緊急で買い出しを行い、直ぐに石川県に向かいました。

富山県辺りに入った辺りから電波が無くなり現代では考えられない光景が目に広がってました。
石川県の役場に着くと老人や女性がプールの水をバケツで運んでたり、とにかく水、食料が足りませんでした。
家もかなり崩壊していて停電や断水ばかりでした。
とは言え自分達は瓦礫の撤去等や不明者の捜索は気持ちは合っても素人ですので二次災害の恐れもあるため警察や消防や自衛隊のプロの方々にお願いをし、現地の人を通してとある市から物資を役場から避難所への運搬を手伝って欲しいとの依頼がありそれに専念しました。
その後、一般車両の侵入が増えたり、他県ナンバーによる窃盗や性犯罪が本当に起きていて現地の人達も警戒するようになってました。
自衛隊が増えて来てからは物資の運搬や炊き出し、災害復旧に全力で頑張ってくれていて頭が下がる気持ちで一杯になりました。

今回学んだ事は、テレビで見てる映像よりも悲惨だった事。
物資が集まっても運ぶ人がおらず役場から避難所まで行き届かない事。
自分達は災害復旧活動の経験がこれで四度目になります。
しかし何もしてあげられないもどかしさ悔しさを感じました。
『運搬』こんな事しか出来なかった自分ですが、少なからず喜んでくれた人達は居たはず。
千葉に帰って来て感じた事は、
何気ない当たり前の生活が本当の幸せだと感じました。

報告する予定は無かったのですが、自分達が千葉からの現地入りをしてから2日3日後に一般車両の現地の乗り入れにネット等で賛否両論あり、会社名が入ってる車両だった事でテレビのニュースに社用車が映ってるとの声、弊社ホームページに石川県民の方からの問い合わせがあり、被災地に乗り入れた理由の終始を報告させて貰いました。

被災地域の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。
株式会社龍羽
代表取締役 福田 龍也